多田統一の”研究所めぐり”

その5 放射線医学総合研究所(放医研)

 台風前の残暑の厳しい日、取材のためこの研究所を訪ねた。場所は、千葉県千葉市稲毛区穴川4-9-1にある。JR総武線「稲毛」駅を下車、徒歩約10分の所である。放医研は、放射線の持つ有害性を抑止するとともにその医学利用を進めるため、1957年に科学技術庁所管の国立研究機関として発足した。2001年には、文部科学省所管の独立行政法人となった。その後、2016年には放医研と日本原子力開発機構の量子ビーム部門・核融合部門が再編統合され、量子科学技術研究開発機構となった。ちょうどJCO臨界事故直後だったため、興味深い取材となった。重粒子医科学センター病院では、重粒子線治療に使われるCTやMRIなどの画像診断機を直接目にすることができた。また、加速器理工学部では線形加速器・重イオン源を見ることができた。実際に臨界事故の患者が運び込まれた緊急被ばく医療センターにも案内された。現在どの病院でも使われているポジトロン断層撮影装置(PET)などの画像診断技術がこの研究所で開発され、臨床応用されていることを知った。福島原発事故後、放医研では緊急被ばく医療体制の整備、放射線影響研究の推進により一層力を入れている。(参考文献 多田統一:研究所めぐり 放射線医学総合研究所 「文芸広場」Vol.49  No.10、 2001年10月)

多田統一の”研究所めぐり”

その4 東京海洋大学百周年記念資料館

 私がここを訪ねたのは、2010年の夏であった。この記念館は、東京都江東区越中島2-1-6にある。JR京葉線越中島」駅で下車、徒歩約1分の所にある。前身の東京商船大学の開学100周年を記念して、1978年に開館した。三段膨張蒸気往復動機関、交通艇用蒸気往復機関、焼玉機関、ズルサ―ディーゼル機関S20などの展示を見ることができた。何よりも、1874年に竣工した鉄船明治丸の屋外展示が興味深かった。ちょうど改修工事中で船内を見学することはできなかったが、資料館2階の休憩室から船体を観察することができた。わが国近代海運史の重要な場面で活躍し、1978年に国の重要文化財に指定された。2016年には明治丸記念館が竣工し、小中学生向けの体験学習も行なわれている。地元のNPO団体や大学OBが、積極的に運営を支えている点が注目される。現在、緊急事態宣言が発令されたことにより、休館となっている。(参考文献:多田統一「研究所めぐり 東京海洋大学百周年記念資料館」Vol.58 No.10、2010年10月)

多田統一の”研究所めぐり”

その3 理化学研究所

 私がこの研究所を訪ねたのは、2001年の夏であった。東武東上線の「和光市」駅から、徒歩13分の所にある。正門を入ると、展示事務棟の入り口付近で坂口謹一郎を記念した雪椿の植樹を見ることができた。まず広報室を訪ね、室長さんをはじめ担当の方より概略的な説明を受け、記念史料室や加速器施設などを見学させてもらった。理化学研究所は、日本初の民間研究所として1917年文京区駒込の地に財団法人として創設された。戦後の株式会社時代を経て、特殊法人となり現在地への移転を開始したのは1963年のことである。この研究所は、創立以来多くの著名な科学者を輩出している。理研の三太郎と言われた物理学者・長岡半太郎、磁性物理学者・本多光太郎、農芸化学者・鈴木梅太郎、日本に原子核素粒子の研究を根付かせた物理学者・仁科芳雄ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹朝永振一郎などである。記念史料室で、貴重な文献を確認することができた。加速器施設では、世界でも最高水準のリングサイクロトロンをこの目で見た。現在、ビッグデータ人工知能分野で活躍するスーパーコンピュータ「富岳」のことがが話題になっている。研究所内の計算科学研究センターが、2021年3月より「富岳」の共用を開始し、社会的・科学的課題の解決に貢献している。ホームページによると、コロナ対策のため施設見学は現在休止している。理化学研究所は、埼玉県和光市広沢2-1にある。交通機関としては、東武東上線の他、東京メトロ有楽町線副都心線を利用することができる。(参考文献:多田統一「研究所めぐり 理化学研究所」文芸広場 Vol.49 No.9、2001年9月)

 多田統一の”研究所めぐり”

 その2 航空宇宙技術研究所

 私がここを訪ねたのは、2001年(平成13年)6月6日のことであった。この日の新聞朝刊に、マニラ発のノースウエスト航空28便ボーイング747・400型ジャンボ機(乗客乗員410人)が、右翼付け根の車輪が出ないまま成田空港に緊急着陸した事故のことが報じられた。幸い、乗客乗員にけがはなかった。東京都調布市深大寺東町にあるこの研究所は、1955年(昭和30年)7月総理府の付属機関として発足した。 2001年(平成3年)1月文部科学省の所管となり、同年4月独立行政法人航空宇宙技術研究所となった。私は、防音建屋の超音速エンジン試験施設と展示室を見学した。成層圏プラットフォーム飛行船の模型、小型自動着陸実験機の実物、ターボファンエンジンなどを見ることができた。宇宙旅行を体験できるスペース・ミッション・シミュレーターで、私も実際に操縦してみたが思ったよりも難しかった。見学者の名簿を見てみると、生命保険会社や情報関連会社、精密機器の会社からの者が多かった。内容からして、小・中・高校生の総合学習よりも、教員の現職研修での活用の方が向いているのではないかと思った。2003年(平成15年)10月、航空宇宙技術研究所宇宙科学研究所宇宙開発事業団の3機関が統合して、独立行政法人宇宙航空研究開発機構が発足した。調布航空宇宙センターでは、スペース・ミッション・シミュレーターによる体験型展示、YS-11の屋外展示を見ることができるが、ホームページによると新型コロナウイルス感染拡大予防のため現在団体見学の受け入れは休止中である。

 多田統一の”研究所めぐり”

 その1  国立極地研究所

 私がここを訪ねたのは、立川への移転計画が持ち上がっていた2001年(平成13年)の5月であった。都営三田線板橋区役所前」駅で下車、徒歩で約10分王子新道沿いに研究所の建物が建っていた。この場所には、元陸軍東京第二造兵廠があった。住居表示は、東京都板橋区加賀1-9-10。加賀は、前田家下屋敷のあった所で、水車動力を利用した近代工業発祥の地である。正門を入ると、南極観測船「ふじ」のスクリューの一部がモニュメントとして置かれているのが目についた。専門員の方に、ホールを案内してもらったが、ここには、昭和基地の模型、第一次越冬隊が使用した犬橇の実物、着用の装備、KD60型雪上車、ペンギンの剝製や隕石などが展示されていた。家族で見学している姿も見られたが、学校からの要望があれば施設見学を受け入れているとのことであった。この研究所は、1973年(昭和48年)9月大学共同利用機関として設置された。極地研究、極地観測を通して社会に果たしてきた役割は大きく、総合研究大学院大学の基盤機関として博士後期課程の院生への教育指導が行なわれていた。ネットで確認すると、新キャンパス(東京都立川市緑町10-3)に移転したのは2009年(平成21年)5月、2010年7月には南極・北極科学館が開館し、2019年9月時点で30万人の来館者を記録している。現在、コロナで休館している。超高層物理学研究、気水圏研究、地学研究、生物学研究、極地設営工学研究などのハイレベルの研究活動が行なわれている。一方、見学等を通した環境分野での学校教育との連携も図られている。産業考古学の立場からは、観測機器の発達や極地での住居や衣服の工夫が興味深い。(参考文献:多田統一「研究所めぐり 国立極地研究所」文芸広場 Vol.49 No.7、2001年7月)